ひとりごと

このブログも引越しか。

ずーっとサボってましたら、

このドリコムブログが事業譲渡だそうでして。


ライブドアブログに移行ってことになったら、
またコツコツと慣れて書き出そうかしら。

なんか、ツイッターばっかしになってしまうかしら・・・

また始めます。

ニュース

バカヤロー(の)解散

剔抉……「てっけつ」 ほじくり出すこと。

生まれて初めて目にした言葉。
by 中曽根大勲位

まったくもって読めもせず。

器が違うのか。

「中曽根康弘 インタビュー」

MJとKJ

川喜田二郎さんが亡くなられたというニュース。

KJ法の生みの親にして文化人類学者。

KJ法は「発想法」として認識されているが、共同作業においての合意形成手段ないしは情報整理法としても有効である。

ブレーンストーミングとセットになって、カードへの記述とその蓄積からスタートするある種叙事詩とも言えるようなプログラム。

発想法としてどれだけ汎用性があるのか、果たしてどれほどの効果を持つのかはともかく、可視化して整理してグループ化され見解が新しい表札を形作っていく、そのプロセスに何度安心といくばっくかの自己満足を得たことだろう。

随分、改良やアレンジを施されたソフトウェアで、デスクトップ上で機能するようになっているようだが、あの古典的なフリーフォームのプロセスは、アナログ作業の醍醐味かも。

MJもショックであったが、KJもまた感慨ひとしお。
全然異種なれど。

ご冥福をお祈りします。

万博でみんな缶コーヒー飲んでたんですか?

世に缶コーヒーが登場してから今年で40年だそうだ。
その発祥には諸説あるようだが、UCC創業者が、瓶入りコーヒー牛乳にヒントを得て市場に出したという缶入りミルクコーヒーが、現在の缶コーヒー市場の第一歩との話がある。
ホントかな。玉川高島屋の折込チラシのコラムで読んだ話。


何でも、1970年の大阪万博で大ヒットして全国区に上ったのだとか。
(現在の市場規模は推計で9000億円とか1兆円とか!?)
ボンカレーも同年登場、翌年にはカップヌードルがデビュー。

レトルトカレー「食べる」 カップ麺「食べる」 缶コーヒー「飲まない」の私ですが、食生活の一大転換期でしたね。



バイクも怖いけど自転車も怖いよ

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昨日偶然、四半世紀と少々前にサラリーマンになって入社式なんぞあったホールと、そこから程近い勤務先本社の前を通りました。
確実に10年以上振り。

随分と再開発で変わったなあなどときょろきょろしながら歩いていたせいでもないだろうが、その辺りの路地を疾走してきたオートバイに、すんでのところで引っ掛けられそうになった。
思わず「わおーっ」と声を上げてしまったが、感覚的には数十センチのところで難を免れた。
そんなところで交通事故なんて想像しただけでも・・・

今では考えられない話だが、若い頃その職にあったとき、キャンペーンの企画だかプレゼンの準備だか、タコ部屋みたいなところでうんうん唸りながら、効率の悪い協働作業を夜中までやっていた時代。
タコ部屋の頭領のCDという人が、「働きすぎて死んだやつはいない」とのたもうてダメ出ししては、若者達を蟹工船のような(?)部屋へ閉じ込めていったのだ。
それが日常。
そのダメ出しにまたマゾヒスティックに応える若頭みたいなのが必ずいて、本当にあれはSM劇みたいなお約束であったのでした。

わたしゃ当時から、なんかこれ変じゃないのってどこかSMに馴染めなかったあの違和感は今も思い出します。
働きすぎて死んだやついない・・・なんて、当時はサドの決めゼリフで済んだかもしれないけれど、今では即刻大問題ですよ。
どうにも飲み込めなかったものなあ。
最後、どこかで合わなかったんだろうなあ、オレ。

数日前のニュースで、新入社員から程なく過労で亡くなられた男性の父親が報じられているのを見ました。
過労死を認められたというニュースでしたが、その無念さや悲しみは埋められるはずもありません。
胸が痛みました。

ハード・デイズ・ナイトでは、くたくたになるまで犬のように働かされても、家帰って彼女の顔があれば結果オーライよという、ある種とても幸せな話である。

あの時代、タコ部屋ワークの面々は一体どうだったんだろうか。
もうよく覚えていないのだ。






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